L,K村M祥、M山H夫(記)、S木K生、N村M子、T塚Y子
白神はよく通った。今年で5回目である。最初は追良瀬川、赤石川とメジャーなルート。しかし、このメジャーなルートは最奥の源流部手前の支流から尾根・登山道に抜けてしまう。ぜひとも、最源流部を遡行したいものだと、地形図を穴の開くほど見つめ、ルートを探して来た。白神山地は、大川・赤石川・追良瀬川・津梅川と大きな川が青森県側から4本、奥深く白神山地へ入り込んでいる。
普通、沢登りは遡行して登山道に出るか、または尾根を乗っこして、反対側の沢を下降する縦の線である。発想を変えてジグザグに縦・横と源流部だけ遡行出来るルートを探して来た。しかし、最奥の支流は記録も少なく、上部で一気に高度を上げて、急峻で登れな滝も出て来る。下降も懸垂の連続、ハラハラ・ドキドキの未知の世界。この次、何が出てくるか分からない、この感覚が堪らない。
今回も大川から入渓して、最源流部支流から尾根を乗っこして赤石川、赤石川の支流を詰めてまた尾根を乗っこして横倉川の計画であったが、赤石川の支流の登りに時間が掛かり、暗くなる前に尾根越えで横倉川に降りるのが無理になった為、赤石本流に引き返した。翌日は長い沢歩きと長い林道歩きで赤石大橋まで行き、ヒッチハイクで車を回収した。3泊4日、原生林を歩いて気持ち良かった。次はどのルートを行こうか・・・。K村M祥(記)
■9月19日(土)晴れ
大川林道駐車地点11:30~BP14:50
18日の金曜日、東川口をK村さんの車で夜9時半ごろ出発。9月の5連休とあって、東北自動車道も混雑気味。長者原のSAでテントを張って仮眠。19日、7時ごろ出発。大鰐弘前で高速を降り、岩崎西目屋弘前線(白神ライン)を大川橋に向かう。大川橋の手前で、大川に沿って登っていく林道に入り、堰堤の手前で車を降りる。川に降りる道をたどり、大川に入渓。堰堤を越えて平坦な河原を歩く。途中、森林管理者らしき人たちと会う。大川散策の夫婦連れや、年配の土地の人たちにも会う。結構人臭い川だ。
全体に水量が少なく、タカマタギのゴルジュ帯も砂で埋まり、浅くなっていてとことこ歩いて抜ける。ここが泳ぎを強いられるゴルジュだったら、さぞや大変だろう。341mの赤石川に抜ける指定ルートの広河原でタープを張って幕営。世界遺産でご法度の焚火を起こし、快適なキャンプを満喫。K村さんは酒を飲みすぎ、顔から転倒。岩にぶつけ、顔面血だらけとなる。この後、顔面血だらけで山行続行!
■9月20日(日)くもり
BP7:30~赤石川に降りる尾根上14:48~赤石川支流を下降してBP17:55
大川は水量が少なく、あまりきれいな沢ではない。途中水が無くなり、上流部は伏流となっている場所がかなり続いた。大滝は巻き、源流手前で赤石川に抜ける支流に入る。ここはナラタケの宝庫。キノコを採りながら斜面を上がり、森を登る。大した藪こぎもなく稜線に到達。すぐに赤石に降りる支流を下降する。しかし、これが思ったより悪く、底の見えない懸垂を何度が繰り返し、ようやく傾斜が落ちた場所に到達した時は日没寸前だった。必死でビバークサイトを探し、幸運にも平坦な河岸段丘にタープを張ることができた。K村L酒、自重!
■9月21日(月)晴れ
BP8:30~赤石川522m出合9:15~赤石川450m支流出合12:45~450m支流遡行断念14:30~450m支流出合15:00~赤石川400m付近BP15:35
赤石川は水量も多く、ゆったりと流れている。岩に赤茶色の苔が付き、滑りやすい。赤石川の名の由来はこの苔なのか?。岩魚の群れに歓声を上げながら平坦な河原を下降する。魚止め滝を懸垂で降り、予定の横倉沢に抜ける支流に到着。支流出合は平坦で水量もか細く、しょぼい沢に見えたが、奥に入ると沢が狭まり、登れない滝の連続となった。滝をひとつ越えたところで昨日の山越えの悪夢がよみがえる。藪尾根でのビバークの可能性が高く、二日続けてのハードな行動はしんどい。今日はゆったり快適な夜を過ごしたいというみんなの希望で予定変更。再び赤石川に舞い戻り、広河原で焚火三昧のキャンプとなった。K村L、酒飲みつくす!
■9月22日(火)雨のち晴れ
BP6:25~滝川出合9:25~赤石ダムバックウォーター12:00~白神ライン林道16:15
天気悪い。時折激しく雨が降る。しかし雨に煙る赤石川のたおやかな姿はとてもきれい。ダムのバックウォーターに着くころは雨も上がり、少々蒸し暑くなってきた。水面にたたずむ枯れた樹がひとり、逃れられない運命に従うようにぽつんと立っていた。ダムの左岸に踏み跡があり、45分ぐらいで赤石林道に出た。ダム管理事務所には人がおらず、閑散としている。このダム、どのような役割を担っているのか?
ここから白神ラインまでの距離は長い。K村リーダーには、車回収のため先行してもらう。われわれは休みながら歩き、途中の小沢でソーメンを食い、午後4時過ぎに白神ラインに到着。ザックに腰かけ、疲れた足を投げ出していると、夕方近いが車の通行は思ったより多く、行き交う車のドライバーは「こいつら、こんなところで何やっとるか」といった顔で通り過ぎていく。
顔面血だらけのK村リーダーが、無事ヒッチハイクを成功させて車を回送してくるか心配だったが、5時を少し回ったころ、魅惑の白いレガシーが到着。顔面血だらけに臆することなく車を2台乗り継ぎ、大川林道は走ぬき、車を回収したそうだ。走れメロスみたいだ。
夕暮れ迫る白神ラインを日本海に向かって爆走。陸奥岩崎の○○荘に到着。親切で可愛らしいおばさんにもてなしを受ける。温泉に入り、ビールを飲み、毛ガニ、イカ刺し、サザエの壺焼き、煮魚をつまみ、M子さん、裕子さんと飯の食い合い1本勝負に挑む。M山、3杯でダウン。K村Lはひたすら飲み続け、K生さんも飲んだり食ったりで大忙し。特に毛ガニの味噌には目がなく、3皿分近く平らげる。残った毛ガニも部屋に持ち込み、なお酒宴は続く。M山のみ、温泉に直行。腹が苦しくて湯船に沈んでしまった。30分ほど沈んでいたら、K村Lの生死確認を受けた。
■9月23日(水)晴れ
朝、K生さんが腹痛で倒れる。ただ事でない激痛。しばらく様子を見たが、10時過ぎに救急車を呼び、能代山本医師会病院に搬送。医療従事者のT塚さんがてきぱきと対応する。彼女に救急車に付き添ってもらい、われわれはレガシーで病院に向かうことにする。
○○観荘の親切で可愛らしいおばさんは「あたしが作った料理で食中毒に!」とおろおろしていた。客が食中毒になったことが保健所に知られると営業停止の心配もあるらしい。救急車が到着すると、国道沿いにどこからか人々が集まり、搬送の様子を見物していた。
K生さんは病院で点滴を受け、午後2時ごろにようやく症状が落ち着いてきた。病院の話だと魚介類による食中毒は、このあたりでは珍しくないとのこと。K生さんだけに症状が出たのは、菌の濃淡や、本人の体調も絡まり、これもよくあることらしい。魚介類はよく水洗いしましょう、との指導を受ける。○○荘に保健所の検査が入るのかどうかは不明。
午後3時ごろ、全員白いレガシーに乗り込み、帰路に就く。T塚、M山で運転を担い、K生さん、K村さんにはゆっくり休んでもらう。渋滞予報の東北道を避け、郡山から常磐道に抜け、渋滞のかけらもない高速をぶっ飛ばす。M山の家に車を横付け、N村さんは牛久から電車、後の人たちはK村タクシーでつつがなく帰宅。
※今回の山行の核心部は、民宿での食中毒だった。それにしても「同じものを食べて、人が食中毒にあたっても、私はあたったことがない!」と言うN村さんの強靭な消化器官に脱帽!
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