○期間:2022.10.1(土)10.2(日)
○メンバー: L N口(会外)、N島
○タイムスタンプ
10月1日 7時30分扇沢発バス→8時20分黒部ダム発→10時南東壁沢出合→12時大洞穴→1640稜線→1700稜線幕
10月2日 6時10分幕場発→1305旧日電歩道合流→1530バス→1600扇沢
○報告
N口は、もはや出所がどの本なのか判らんくらい古い1枚の白黒コピー紙を後生大事に保存しており、それが、大タテガビン南東壁スラブ状ルンゼのトポで、いつか行きたいと口癖のように呟いていた。ネット上に記録は僅か、というかほとんどない。晴天が確約された10月第一週末、我々はいよいよガビンに挑んだ。
1日目
黒部ダムで旧日電歩道に入ると、クライマー3人組がおり、なんとN口の知人で山登魂のメンツであった。まあ、こんなところにくるのは、たしかに、山登魂かYCCかぶな、ということになるのかもしれない。
旧日電歩道から内蔵助谷を見送って、南東壁沢に入る。暑さと3リットルの水と、2本のザイルの重さにめげそうになりながらスラブを上がる。断っておくが、N島はザイルを2本担いでいる。
特に困難なく大洞穴に至る。そこからイタドリバンドを左上し、最初の小さい壁をさらに回り込むと南東壁スラブ状ルンゼが現れる。古いハーケンが一本あり、迷うことはない。
1ピッチ目 N島リード 困難なところはなく灌木で切る。
2ピッチ目 N口リード さらに困難なところはない。滝の前でハーケンで切る。
3ピッチ目 N島リード 涸滝を右から回り込み、核心となる垂壁2メートルの前で灌木で切る。
4ピッチ目 N口→N島リード トポによると垂壁は、「残置にA0して強引に乗り越す」などと書いてあり、うむ、確かに残置ハーケンがある、あるのだが、N口が手を掛けるとぽろっと取れた。岩は動いており新たなハーケンを打てる状態ではない。しばらく右往左往した結果、N島がリード交替して、最近の記録にある通り左壁から巻くことにする。
これがまた、芥川の蜘蛛の糸なみに細い根っこやら、ブッシュやらに精神的ビレイを取って、気合いで登るいやらしい壁である。だが、確かにホトケ様だか、お釈迦様だかはいるようで、信じる者は救われた。とにもかくにも上がりきり、あんま安定してないけどようやく発見した頼り甲斐のある木の幹で切る。N口をビレイして上げ、さらに1メートルほど登ると、きれいに、垂壁の上に出た。
そこから先はノーザイルで、まっしぐらに稜線に上がる。3級程度の岩だが落ちたら真っ逆さまで、失敗は許されない。特に、稜線直下の20mほどは斜度が上がり、おい、まじか、これノーザイルで行くのか、っちゅうか、これノーザイルで行くなら、最初の2ピッチにザイルを出したの、あれはなんだったんだよ。こっちの方がやばいじゃないか、などと思いながら登る。断っておくが、N島はザイルを2本担いでいる。
漸く稜線にでる。夕陽を浴びて輝くガビンが美しい。感無量で握手を交わし、そこからわずかに進んだところで猫の額ほどのビバーク地を見つけ、今宵の宿とする。
星の瞬く静かな、黒部の夜であった。
2日目
5時起きでスープとソーセージの朝食を取り、撤収して稜線の藪を進む。1時間ちょっとで末端尾根との分岐についた、のだが、もしかしたら我々は、この時点で間違っていたのかもしれない。
とことこと歩いて降りていると急に切り立ってくる。あれ、と思って現在地を確認すると、尾根を外れて西側にでている。修正して尾根にのりなおした、と思うと、また、気が付くと尾根の西側に出ているのである。「黒部湖側に、黒部湖側に」を合言葉にして進むのだが、気が付くと、何度でも尾根を外しているのには辟易した。相当の時間をかけて、やっと末端ルンゼに入った時にはほっとした。入ってしまえばこっちのもんで、あっという間に旧日電歩道に出た。
やっと一息いれ、水を飲み、衣服を調整した後、ガビンに別れを告げて旧日電歩道を黒部湖に向けて歩きだす。
黒部川の水面が煌めいて躍る。それに沿って歩くN口の影が次第に長く、早くも傾きかけた秋の日差しが、とうに人生の朱夏を過ぎ、白秋も半ば、やがて玄冬に差し掛かろうとする彼の背に、名残りの輝きを与えているように思えてならなかった。
我々は、歳の離れた夫婦である。婚姻も遅い。いつか一緒に登れなくなる日が来る、そのことは百も承知である。それでも、なお、もう少し、あと、もう少しだけでも、共に歩むことができるように、祈らずにはいられない。
もし、神というものがあるのであれば。
コメント