LM田R太(会外)、N島R恵(記)、M井T也
3月2日 0600車止め→0800鳥倉登山口→1200三伏峠→本谷山と権右衛門山の間2608付近幕
3月3日 0400幕地→0753塩見小屋→沢下降→2650m付近で天狗尾根に乗る→稜線→1430幕
3月4日 0430幕→三伏峠→登山口→1100車止め
私にとって塩見岳バットレスは、長らく気になる存在であった。ただ、登山大系以外の記録を発見できない。「興味あるけど・・・最近の記録ないんだよねえ」で、長いこと、うやむやになっていた。
ところが、2023年の年末、塩見岳バットレス北稜を登った、という記録が、突然、ネット上に出現した。それは、C沢を下降し、A沢を、アイスクライミングを交えて遡行し、北稜に取りつき、雪稜、岩稜、岩壁をこなして頂上に立った、という、実に素晴らしい内容だった。
私は驚いた。そして悔しかった。「最近の情報がない」というだけで登攀を躊躇っていた自分の情けなさを厳しく糾弾された気がした。ひとさまの記録に頼り、ひとさまの記録を当てにして登る、ひとさまからの情報がなければ逃げ腰になる。それが、間違っても登山者の端くれとしてあるべき姿であろうか。不甲斐ない。
よし、こうなったら、北稜以外の、まだ記録の出ていない尾根をやってやろう、そう思った。
幸か不幸か(いや、不幸なのだが…)当初、この週末に予定していた鹿島槍北壁主稜は、悪天候により到底望めない、それでも、もう休みはとってある。こうなったら塩見岳バットレスに決まりではないか。私はやや強引に話を塩見岳バットレスにもっていき、そして我々は、前日の降雪に鑑み、一番雪崩の危険が少なそうな天狗尾根を選んだ。
初日。
長い林道歩きを経て、登山口から三伏峠を目指す。次第に積雪が増え、途中でワカンを履く。初日に塩見小屋まで、という甘い予想は見事に裏切られた。重いラッセル、また、藪漕ぎに苦戦する。ようやく本谷山を越えたのが16時、我々は結構疲れ果てて、本谷山と権右衛門山の間に幕を張った。
ここまでしか進めないとは。明日に不安がよぎる。協議の上、我々は、明日は2時半起床4時出発、8時までに塩見小屋に到着できなければ、バットレスは諦める。と合意した。
久しぶりに、幕の中でも寒く、もしかしたら今季初めてくらいの、冬山らしい夜であった。
2日目。
4時発。午後からの強風に備え、テントのポールは抜いて行った。
相変わらずラッセルと藪漕ぎに苦戦し、ようやく権右衛門山を越えたのは7時である。M田氏が、こりゃあ、8時までに塩見小屋は無理だよ、のじさん、それでも進むよ。という。M井君が、「まあ、塩見の山頂だけでも踏みますか…」という。
私はすっかりふてくされ、別に塩見の山頂踏みに来たんじゃないわい、もう、帰ろう、と喉元まで出かかった。が、淡々と歩き続けるM田氏を見ると、何も言えず、渋々彼について歩き始めた、ところで、そこから藪は消え、雪が締まった。
歩行の速度が上がる。もしかしたら、もしかしたら、間に合うかも。と、希望を込めて歩き続け、塩見小屋着。7時53分。
まっすー。7時53分だぜ。と、期待を込めてリーダーM田氏に声をかけると、彼は塩見小屋の屋根に乗り、黙って天狗尾根を眺めている。私はその隣に並んだ。
目指す天狗尾根をよく見れば、上半部に何本かのルンゼを有し、C沢までつなげている。もしかしたら、あのルンゼを使えば、上半部だけでも行けるのではないか。流石にこの時刻だ、C沢を全下降し、末端から天狗尾根を登るとなると、時間切れであろう。でも、もしかしたら、このルンゼを使って尾根に這い上がれば、上半部だけでも行けるのではないか。今の我々の状況に鑑みれば、そのルートが最も合理的ではないか。
その話を二人にすると、M井君が、それはありですね、それなら行けるんじゃないですか?と言ってくれる。そして、M田氏も、じゃ、それで行こう。と言ってくれた。
そうと決まれば話は早い。我々は装備を整え、C沢を下降し、慎重にルーファイして岩やらモナカ雪やら、なにやらを避けながら、天狗尾根の、目指すルンゼに接近した。
稜線から吹き付ける寒風は徐々に強まり、周囲の木々は刺すような太陽の光を受けて、見事な樹氷を枝いっぱいに輝かせている。それが青空に映え、またとなく美しい光景なのだが、私は自分の髪の毛の末端処理に失敗したため、ヘルメットからはみ出している前髪にも霧氷が絡みつき、視界を遮るのが邪魔で邪魔でしょうがない。髪の毛から氷をひっぱがし、ひっぱがししながらようやく目指すルンゼにたどり着く。
若いM井君が真っ先にルンゼを登り始める。と、「亀裂!」と叫ぶ。見渡すと、我々の重みでか、ルンゼにびしっと亀裂が走っている、わ、あぶね、と思ってそれを超えると、さらに亀裂、亀裂、亀裂がどんどん入っていく。まあ、これが崩壊しても完全埋没はしないだろうが、薄気味悪いので駆け足でルンゼを這い上がる。
やっと稜上に出た。胸が高鳴る。少し雪稜を歩くと最初の岩場がある。岩は脆く、ワンポイントやや難しいがフリーで越え、さらに雪稜と岩稜が繰り返される。どれも容易だが、一か所、先の見えない岩場を回り込むところで念のためザイルを出した。
とうとう、天狗岩にたどり着く。天狗岩は登らず(登ってもいいのだろうが…)、左側の雪壁を慎重に登り、そして、我々はひょっこりと主稜線上に出た。
11時。風が強い、帰りもまたラッセルと藪漕ぎだ、我々は急いで往路を辿り帰幕した。
わずか3時間程度の登攀である。たかだか、天狗尾根の上半部だけを、ちょろっと登ったに過ぎない。それでも私は、とてもとても嬉しかった。それは、やはり憧れの塩見岳バットレスをとうとう登れた…という思いもあったが、雪の状態、天候、我々に許された2.5日(M田氏は3日目、帰宅したらすぐ夜勤である)という限られた条件の中で、我々はベストを尽くした。前情報なしに、自力でルートを見出し、自力でそれを登り切ったのだ。そのことが、本当に嬉しかった。
3日目。
夜勤を気に掛けるM田氏が、何としても午前中に降りたいというので、2時半起き、4時半発。
風雪。黙々と本谷山を越え、三伏峠を目指す。と、N島のワカンが崩壊した。バンドが切れたのだ。こいつにも、もう、15年くらいは世話になった。どの冬も、どんな悪路も、黙って私と共に歩んでくれたワカンである。その後、わたしゃつぼ足となり、ラッセル要員としてはほとんどお役に立てず申し訳なかった。
三伏峠を過ぎると、風雪は徐々に弱まり、9時半、林道に戻った頃には粉雪となる。我々は、ぽつぽつと次のヤマの計画を話しながら、車へと急いだ。
終わりに。
塩見岳バットレス天狗尾根は、えらい、コスパの悪いルートである。アプローチは長いし、悪いし、散々苦労してそれをこなした結果、見栄えのする滝があるわけでも、高グレードの壁があるわけでもない。
それでよかった。南ア南部の、深い山々の懐で、静かに自分たちだけのラインを引きたかっただけだ。
それができたことが、私には本当に本当に嬉しかった。
こんな提案に乗ってくれ、付き合ってくれたM井君、私の冬のパートナーであり、松戸岳人倶楽部時代の同期M田氏、本当にありがとう。
そして、最後に、塩見バットレス北稜の素晴らしい記録を公開し、私を天狗尾根へと駆り立ててくださったある方に、敬意を表します。ありがとうございました。
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