○山域・ルート:五竜岳~東谷尾根下降~仙人ダム~雲切新道~ガンドウ尾根~剱~馬場島~伊折
○期間:2025/04/18~22
○メンバー:N島R恵(単独)
○タイムスタンプ
初日 0845地蔵の頭~1330五龍山荘~1500五竜岳~東谷山~2300m付近幕
2日目 0525幕地~1600黒部川~仙人ダム~1630仙人谷幕(夜半引っ越し騒動あり)
3日目 0450幕地~スノーブリッジ横断~雲切新道~1330頃ガンドウ尾根合流~1430仙人池ヒュッテ幕
4日目 0450幕地~仙人山~池の平小屋~0850池の平山~小窓~小窓の王~1600三の窓幕
5日目 0450幕地~池ノ谷ガリー~0750剱本峰~1120早月小屋~1600馬場島~1700伊折ゲート
○報告
4月19日出発の予定を、天気予報に鑑みて1日前にずらした。これが功を奏した。天候に恵まれ、毎日10~12時間ほど行動し、4泊で、黒部を駆け抜けてきた。
18日。
快晴である。朝いちばんのテレキャビンに乗り地蔵の頭へ。ここで見送りに来てくれた夫と別れ、遠見尾根を歩く。ラッセルはまあまあ。
五龍山荘まで順調に進み、五龍岳から、いよいよ東谷尾根に向かって歩き出す。ここから先は未知の世界だ。今夜から明日朝にかけて強風が見込まれるため、可能な限り高度を下げておきたい、その一心で、必死に東谷山を超える。超えて少し行くと地形図通りなだらかな、針葉樹林のある台地があり、幕。夜は予想通りの風となったが、それより、地震にびびった。
19日。
朝起きると、雨がテントを叩いている。朝食を食べ終わっても止まず、しばし待つ。明るくなってきたころ、これ以上は待てないので、ガスの中を出発する。歩き始めて1時間半ほどするとようやくガスが晴れてきた。
歩きやすそうに見える…ところは雪庇である。慎重に、雪庇と樹林帯のきわきわを選んで歩く。東谷尾根の最大の難点と想定していた2001mピークの下降だが、一見して、こんなのクライムダウンは無理。ということで、懸垂。しかし、藪が意外と濃くて先が見えず、懸垂もそれなりに苦労した。
やっと懸垂が終わって、地形図上細長く平らになっている尾根に目をやると、藪と岩と雪のミックスで、こんなのいくの、うそでしょ、到底歩ける気がしない。ひょっと右手に目をやると、なだらかで歩きやすそうな斜面が続いている。ので、尾根上を歩くのはやめ、尾根から20~30m下の斜面を延々とトラバースしていく。すると、いい感じの枝尾根にぶちあたる、そこから容易に尾根に復帰できた。このルーファイは上手くいった、のだが、問題は1647mピーク以降の下降で、尾根は急峻に、細くなるし、藪は濃くなる。笹とシャクナゲの藪なのだが、絶妙な感じで雪も出てきて、アイゼンを外せない。正午を回り気温が上がったため、雪に乗るとはげしくずぼる。かなり消耗し、3回もルーファイを間違い、「アレ、なんか変だ‥」と思っては地図を見て、間違いに気づき、20mほど登り返して、また進む、ということを繰り返してしまった。これにはめげた。
1109mピークが近くなってきたころ、ようやく黒部川が見えた!これは嬉しい。が、その先も藪に阻まれて、まったく、遅々として進まない。ようやく1109mピークを越え、鉄塔を探す。が、歩けど歩けど、出てこない。もう、鉄塔なんかないんじゃないのかと疑い始めたころに、やっと鉄塔が出てきて、巡視路を辿って黒部川の岸へ。巡視路も雪がべったりである。
さて、過去の記録を拝見していると、黒部側の岸辺、ダム用道路上やトンネルの中など、人工的に平なところで幕営しているパーティが多く、当然私もそうするつもりだった、のだが、岸辺を見てびっくりする。地面など全く出ておらず、道路やトンネルと思しき場所には、びっちりと雪が斜めについてる。これをトラバースしていかないと、仙人ダムに辿り着けない。幕営なんかもってのほかである。
やむなくトラバースを開始するが、これがまた微妙な斜度。万が一落ちたら黒部川まで止まらずに転落することは明白で、非常に緊張した。ようやくダムにたどり着き、黒部川を渡る。
この時点で1600であったため、もう、この日のうちに仙人谷を渡渉するのは諦め、黒部川と仙人谷が交わる地点のほど近く、平らなところで幕営しようと思っていた。
が、その「平らなところ」は、確かに平らなのだが、なんと、そこには鹿のご遺体があって、めっちゃ臭うのである。とても泊まれるところではない。
さあ、どうする。
スノーブリッジは、地図上、ちょうど夏道のマークがあるところにかかっている。これを渡ってしまったらもう当面幕地はない。私は一生懸命仙人谷をうろうろし、ようやく、まあ、谷の斜面からの落石・雪崩があっても、ここまでは来ないか。。。という所を何とか見つけ、そこにテントを張った。
が、中に入ってしばらくしたとたん、どかーん!という大きな音がする。仙人谷の上流で落石が出たのだ。びっくりしてテントからはい出し様子を見る。ここ、やばくない?もう一度、こういうことがあったら、引っ越さねば…。と思った途端、今度はもっと大きな「どかああああああん!!!」という音がし、硝煙のにおいまで漂ってきた。予想通りテントまで落石は来ないが、到底、こんなとこ、眠れたもんじゃない。
やば。
引っ越し決定。
とはいっても、そもそも平らなところがどこにもないからここにテントを張ったのだ。もう、血眼になって、なんとかギリギリ一人横になれそうな、安全なところを発見し、大急ぎで引っ越す。ここまでは何があっても被害は来ないだろう。狭いし斜めってるし大変だったが、それでも、安心して眠れたのは大きかった。
20日。
歩きだしてすぐにスノーブリッジを渡り、雲切尾根をトラバースして、雲切新道に乗る。新道は、一部、地面が出ているのだが、いやらしく雪の塊がのっかっており、ダブルアックスで雪の塊の上に這い上がったり這い降りたり、めんどくさいこと限りなし。
1200mまであがると、ようやく尾根にびっちり雪がついてくれたのだが、標高1450m、全く思いかけないところで、私はこの日最大の核心にぶち当たった。
そこは、地形図上も斜度が急で、現地を見るとちょっとした岩峰になっている。夏道は、岩峰を左手から巻くようにしてついているようで、上部に一部梯子が出ている。が、その左手は斜度のきつい雪面になっているうえ、岩峰から落ちてきたと思しき岩が散乱している。これはちょっと、、、行くとしても、確保ナシに行く場所ではない。
ならば、と思って岩峰を右手から見ると、こちらはやや穏やかな雪面なのだが、いたるところに亀裂が走っている。おまけに雪はずぶずぶで保持力ゼロ、足を一歩踏み出すとずぶっと、30~40㎝は沈むのだ。
おお、こわ。が、もう、ここを行くしかない。私は斜面を睨みつけ、亀裂の入った雪面をあみだくじのように登ることにし、そろそろと、進み始めた。一歩、また一歩。片足をあげても、もう片足と両手とで三点支持を維持できることを確認しながら。ぐずっ、と雪が動くたびに息が止まりそうになる。落ち着け。落ち着いていけば必ずいける。必ず…
ようやくあみだくじが終わり、1500m付近の平らな台地に辿り着いたときは脱力した。
ここから先は、技術上の困難はない。が、ここから地獄のラッセルが続く。足は極度に重く、ワカンを履いても全く進まない。今日は、1400頃から降雨が予想されている。なんとかそれまでにガンドウ尾根に合流したい。
ギリギリ、雨が降る前に稜線に乗る。ここからは、少しはラッセルがましになるのか。。。と思ったが全く楽にならない。ここから仙人池ヒュッテまでのわずかな距離に1時間以上かかる。本当は、池の平小屋まで行きたかったのだが、とても及ばない。そうこうするうちに風雨が激しくなってきた。なんとか、仙人池ヒュッテにテントを張って転がり込む。吐き気がするほど疲れた。一晩中風雨が強かった。
21日。
早朝には風は止み、快晴。テント撤収にかかるが、昨夜の雨がテントを凍らせ、撤収がめちゃめちゃ大変だった。が、朝方冷え込んでくれたために、昨日のずぼずぼ地獄はなく、とことこと快適に仙人山に向かう。左手には大きく剱が、右手には五龍が見えて感慨深い。
仙人山を下降し、池の平山に取りついたのだが、これが大変だった。中腹で朝8時を過ぎ、再びずぼずぼ地獄が始まったのだ。足回りをアイゼンワカンに、ピッケルをストックに持ち替え、ようやく池の平山に辿り着く。
日本海が見える!これから向かう北方稜線もくっきり白く、青空を切り取るように美しい。
2505mピークから、懸垂4回。特に最初の一回は、クライムダウンもできるか・・・と思ったのだが、単独だし、アンパイを取ろう、と思って懸垂したのが功を奏した。途中、完全に氷化していたのだ。あらためて、常にアンパイに振ることの重要性を思い知った。
結局、小窓についたのは11時30分過ぎだったように思う。そこから小窓の頭に登り、降り、また小窓の王に登る、のだが、これまた斜面が絶望的に悪い。何度足を出しても、ずぼ、ずぼ、っと雪は沈み、おなじところでずーっと足踏みをするようで、非常に疲れる。なんとか這い上がる。
這い上がると池の谷ガリーが美しい。何度見たことか、何度登ったかと感慨深い。が、その時はいつもパートナーが傍にいてくれた。今回は、単独である。
懸垂二回でトラバース地点に達する。相変わらずずぼりまくるので慎重に進む。1600ギリギリに三の窓着。
見下ろすと、池ノ谷ガリーがスパッと切れ落ち、白萩川となって立山連峰を割りながら走り、早月川と名前を変えて富山湾に流れ込んでいく。美しい。
ようやくここまで来た。ここから先は、勝手知ったる。。。である。明日は天気予報が絶悪なので、もう早月小屋でピッチを切るのはやめ、一気に馬場島まで下りることにする。
疲れ果てて夕飯もほとんど食べずに眠る。
22日。
早く起きようと思ったのに、結局いつもと同じ時間に起床し、出発する。池ノ谷ガリーをひたすら登り、池ノ谷乗越へ。そこから左右がすっぱりと切れ落ちた稜線を進む。高度感は半端なく、わずかなミスも許されない。一挙手一投足に細心の注意を払ってジワジワ前進し、長次郎の頭へ。
そこからコルまでは、雪がきちんとついており、クライムダウンできる。いよいよ最後の雪壁だ。これは、「ラストがオーバーハングしている」と記載されることが多いようだが、慎重にルーファイすれば、オーバーハングなしに登ることができる。
そして山頂。ほぼ雪に埋まった小さな社。
涙が出そう。が、泣くには百年早い。ここから先、早月の下降も気が抜けない、過去には事故も起こっている。
社に跪いて手を合わせ、心を静めて下降に入る。
さて、である。早月小屋までは順調についた、のだが、その先がまさしく最悪最低であった。雪が多く、腐っており、切れ目も非常に多く、ワカンだと滑るし、アイゼンだとずぼる。
もう、なんどとなく足まわりを取替え、埋まり、尻もちをつき、滑りかけ、全身びしょぬれになる。だが、早月は割と左右がすっぱりと切れ落ちているところが多く、滑りだしたら止まらないだろう。自分が疲労困憊して、注意力が落ちているのも身にしみてわかる。「しっかりしろ」「慎重に行け」「急ぐな。遅くなってもいいんだから」と、声に出して自分に言い聞かせ、わずかな下降でもバックステップし、赤布を確認しながら、ゆっくり、ゆっくりと降りて、14時半過ぎ、松尾平に、近づいた、そのとき、私は、目下に、奇妙な、赤いものを確認した。
あれは赤布ではない。あれは、ヤッケだ。夫の、ふるい、ぼろぼろのヤッケである。
声を限りに呼んだ。赤いヤッケは立ち上がり、こちらを向いて、手を振った。迎えに来てくれたのだ。
私は駆け出したくなる衝動を抑え、唇をかみしめて、ゆっくりゆっくり、赤いヤッケに近づいて行った。
終わりに、いくつかメモを。
(1)時期
敢えてGW前とした。これは①雪が多い方が何かと歩きやすそう、②仙人谷にスノーブリッジがありそう、③ひとさまのトレースの後をおいかけるだけの山行にはしたくない。という理由である。かなり当たっていたといえる。ラッセルは、大変だったが。
(2)単独
そもそも去年、夫と一緒に行く予定だったのだが、1年かけて、私より二回り年上の彼には体力的にどう見ても厳しいことがよくわかった。私としては、せっかくかなり研究したのだし、行きたかったが、夫と一緒に行く予定で二人で取り組んできたルートに、ほかの人と行くのは嫌だった。
そこで、単独で行くことにした。ネット上の記録では、男性の単独横断は時々見るが、女の単独行は、ざっと見た限りだが、見当たらなかった(もちろんやっている方は何人もいるのだろうけれども)。そういうわけで、よし、いっちょやってみるか、と思ったのだ。
(3)トレーニング
そもそも毎週末、ヤマには入っているが、それ以外に平日のトレーニングとして、週1回、21キログラム程度のザックを担いで早朝高尾山登山を継続した(なお、私は日頃から、平日早朝の高尾山登山は続けている。これにボッカをプラスした、ということである)。
この早朝ボッカ高尾山登山は大変役に立った。最初は、空身で登るのに比べて大幅に時間がかかっていたが、3月に入るころには、空身で登るのとあまり変わらない速度で歩けるようになった。
(4)渡渉への備え
去年横断したというYCCパーティから写真を貰ってみたところ、仙人谷は激流で、渡渉は困難を極めそうであった。YCCは誰かがかけてくれた丸太に頼って行ったようだが、私の場合、おそらく今季初めてくらいの横断になるだろうから、「誰かの丸太」はあてにならん。
そこで、事前にロープを使った単独渡渉訓練を行った。これは大きな自信になった。
(5)トレーニング記録
横断に向けて、毎週末の山行及び平日トレ(ランニング及び荷重高尾山)のPDCAを記録し、改善点、思いついたこと、改良してみた結果、トレーニングの成果などを記録した。可視化することによって、何がどう足りないのか、何がどう改善されたのかがよくわかる。最終的には、これを毎日見返すことが、自信につながった。
(6)感謝
多くのぶな会員に相談させていただき、有用な助言を得た。そもそもぶなでの山行と経験値がなければ、単独で横断に臨もうという発想もなかった。Yoneさん、K野君、その他の皆様、記して謝したい。
そして誰よりも、支えてくれた夫に感謝をささげる。どんな相談にも乗ってくれた。練習山行にもつきあってくれた。遠見尾根まで見送ってくれ、松尾平まで迎えに来てくれた。あの、巨大な山塊のどまんなかで、いつもあなたが見守ってくれているという確信が、常に私を支えてくれた。実際に歩いたのは私一人でも、やはり、これは私たち二人の横断だった。ありがとうございました。