ぶな一年生を終えて思うこと

エッセイ

新人のN島です。
山スキー以外のバリエーション未経験だった自分が、ぶなに入会してちょうど一年が経過しました。
自分の振り返り、一区切りということで、ぶなでの一年を終えた感想を書いてみました。

夏山縦走から始めた登山。簡単な冬山、山スキーと幅を広げてきて、一つの問題にぶち当たった。「難しい冬山を登るには技術が必要」山岳会に入って技術をつけようか。そう思ったのは32歳の2月のことだった。

ネットで調べていくつか目星をつけた。「会員数が多く、活動が盛んで、難しそうなことをやっている、そしてホームページが綺麗」そう思い、とりあえず、という気持ちでぶなの例会に見学に行った。

初回の見学を終えてまず思ったことは「この会は、自分にはレベルが高すぎるのではないか」だった。
例会では、北アルプスの40~50度の斜面を滑る山スキーの報告があったり、自分には未知の領域であるアイスクライミング用の道具を会員間で貸し借りしている光景を見た。入会説明では「この会はバリエーション主体で、ロープを使わない山へは行かない」という。

自分の希望は、一般登山道が半分程度、バリエーションが少し、という程度。自分にはミスマッチではないかと思い、入会をためらった。

「若い人が主体の山岳会です」そう謳って新人募集している会があって、かなり惹かれたが、若い人だけではベテランが少ないのでは?同年代との交流もいいけれど、ベテランの先輩方に接すれば自分もそれを吸収できる、そう考え、結局ぶなの会に入会することにした。

入会して半年が過ぎ、高い山には雪が降り始める頃、自分の選択は間違っていなかったんだ、と思った。

最初の半年は沢登りに専念した。自分は未経験同様だったが、8月・9月の合宿に行くために、会山行には積極的に参加した。
先輩方は、いろいろなことを教えてくれたし、順を追って難しい沢に連れて行ってくれた。だが、ここは山岳会だ。自分はガイド社に申込んでいるのではない。技術書を読んで研究し、ジムへ通ってコソ練?もした。毎週末の山と平日の自主練は、結構大変だった。

駆け足だった数ヶ月が過ぎて9月の連休になると、自分は4級の沢を登っていた。もちろん、先輩のサポートあっての話だが、丹沢の1級の沢が難しく感じていた数ヶ月前の自分はもういない。
腰にロープを結びつけ、こんな滝を登っている自分。ぶなに入る前の2月だったら想像もつかなかっただろう。
ああ、ぶなに入って良かった。

11月になって沢の季節が終わり、運営委員会と会報の編集担当を引き受けることになった。
山岳会は会員の協力が不可欠。自分が会に出せるような技術はまだない。そうであれば、会務をやればいい。
会務は大変なときもあるけれど、「仕事じゃないんだから」ということで、自分にできる範囲で適宜やっている。会務をやっていれば、たくさんの会員との交流の機会も生まれる。なんせ会員数が多いから、ただ単に新人やってたら交流できない人もいる。それはそれで楽しいものだ。

雪の季節、自分は予定通り、雪山歩きとスキーをやっている。
が、予想外、アイスクライミングも始めた。
アイスも楽しいもんだよ。先輩から誘ってもらい、ここでもまたいろいろと教えてもらった。
まだまだ満足には登れないけれど、山の楽しみ方が一つ増えたと思っている。
反面、冬までさらに忙しくなってしまったわけだが。

人数が増えすぎてしまったということで、新人募集は停止していたが、再開するとのこと。
どんな人が入ってきて、自分はどんなものを貰い、与えられるのだろう。
楽しみだ。

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ぶなの会

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労山(日本勤労者山岳連盟)加盟 ぶなの会の公式HPです。

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